哲学ノート

昔哲学に関してのサイトを運営していました。久々に文章書きます。

共感性が普遍的に内在しているという妄想

やっぱりさ共感性って普遍的には働かんよ。

 

でさ、普遍的に働くと信じてる人もいるわけじゃん。

 

それってさ、錯覚状態だと思うのよ。

 

で錯覚してるからこそ純度が高いわけじゃん。

 

錯覚できる状態ってさ、共同体が存在していることが前提な気がするのよ。

 

でリベラルって普遍性を強調している気がするのよね。

 

でコミュニティが消失したらさ、、、あれれ、、、みたいな。

 

全然普遍的じゃないじゃんみたいなね。

 

でさーチョムスキーって不思議だよね。

 

普遍性を強調しすぎてるのよ。

 

純度が高すぎたのかな。

 

なんかさ権力への攻撃性を担保にして無理やり維持してる感じ?

 

いまさら引き下がれなくなってるのかなって感じもしなくはないよね。

 

フーコーの権力論ってさ面白いよね。

 

支配する側は支配を正当化し、される側は反撃を正当化するってやつ。

 

どっちもポジショントークに過ぎないじゃんwってね。

 

でそういう発想に至ったのが、フーコーが同性愛者でSMしてからだよね。

 

チョムスキーってすげー自由な校風で育ったでしょ。

 

それから権威付けの強い学校に入学し抑圧体験。

 

しかも負けず嫌いな性格。

 

ネットも何もなかった時代だよ。

 

そりゃ普遍性があるよに見えるわな。

 

でも蓋を開けてみたらやっぱちょっと違ったよねって感じじゃないのかなー。

 

でさ、コミュニティが消えるでしょ。

 

権力批判してもしょうがないでしょ。

 

そしたら共感性なんてさ、美醜意識に基づいたものにしかならないと思うのよ。

 

元々そんなもんかもしれんけどさ、少なくとも仲間への愛着とかあったと思うのよ。

 

でもさ人の中身とかしらねえし、愛着とかないからさ、流動性高まるとぱっと見の印象ぐらいしかないよな。

 

だから結果的に優生学っぽくなるんじゃねって感じよ。

 

だからさキラキラ系男子とかキラキラ系女子みたいなのが最適解じゃねw